認知症だったら、人を殺しても罪にはならない?

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2016年の10月に横浜で、88歳の運転する車が小学生の列につっこみ7人が死傷した事件で、警察は容疑者を不起訴処分にした。
理由は加害者が認知症であり、記憶が抜けている点や、通院履歴もなかったことから
事件の発生は余地が困難で起訴には至らないだろうと判断したと言う。

こう言う場合を心身虚脱と言い、正常な判断が出来ない、
自らの意思ではなかったなど、様々な言い訳が成り立つ。

 

よく聞くのが、精神疾患や薬物依存のものだ。

重大な事件の時には必ずと言っていいほど精神鑑定などをして、容疑者の心身虚脱を主張してくる。
それは弁護士のよく取る手段であり、これによって無罪を勝ち取ろうという思惑がある。

今度の事件でも、年齢を考慮してのところが大きいのではないだろうかと思っている。

 

 

高齢者の運転ミスによる重大な事件は今も加速度的に増加していると言っていいだろう。

1週間に1回はニュースで見かける。それほどに高齢者の交通事故は多いのだ。

今回の事件について、私は大きな疑問を持たずには居られない。

 

認知症だからなんだと言うのだろうか?

 

仮に本当に認知症だったとして、人を殺していることに変わりはない。

それどころか、少子高齢化で子どもが少なくなってきている
にも関わらず、轢かれたのは子どもたちだ
言葉は悪いが、老い先短い老人を保護するよりも、
これからの労働力となる子どもの育成強化こそこの国の問題ではないのだろうか。

 

認知症だったとしたら、病院に行かせなかった家族の責任問題も大きい。

家族であれば、その異変には気づいていただろうし、
88歳で病院へ行かないこともないのだから、確実と言っていいくらいに予見は出来たはずだ。

本当に認知症に困っている人が居るのに、認知症を免罪符のように使うのは許せない。

 

正常な判断ができない状態で、車に乗ることは殺人行為と何ら変わらない。
自覚のあるなしは、さほど問題ではないだろう。なぜなら、自覚するために検査するのだから

義務化されていないことにあぐらをかいている人がいるが、それは自分の首を絞めている。
重大な疾患を発見するためにも、いつかではなく今やるべきだ

 

私は高齢者が乗り物を運転することに疑問を感じずには居られない。

私の祖母も車がなければ生活できないような田舎で生活をしているが
自身が交通事故にあったことから、運転は絶対にしない。
移動にはタクシーやバスを使っていて、知り合いに乗せてもらうことも少なくない。

 

交通手段がないということで、高齢者が自動車を運転することも分かるのだが
真に老人のことを思うのであれば、運転をさせない事の方が優しい社会ではないだろうか。

 

65歳以上の高齢者に対して、運転免許証の返還を認めるようになってしばらく経つが、返還する人は少ない。

 

私は70歳以上の人は強制的に返還・失効するべきだと考えている

 

免許の返還を認めない老人が多いのは、返還することでのメリットがほとんど無いのが原因では無いだろうか。

昔は年金自給者にはバスの無料券が配られて居たはずだが、それも無くなった。
高齢者の多くは外出の手段を奪われていっていると言えるだろう。

 

さらに免許証は身分証明書としての力も強いので、
車に乗らなくても身分証明書のために持っていると言う人もいるだろう。

返還をスムーズにするために、高齢者に対して身分証明書の発行と公共機関の割引券などを配布することで、
高齢者が車に乗らなくてもいい社会作りをしなくてはならないと考える。

 

高齢者が車に乗ることが少なくなるだけで、事故の確率はぐっと減らすことが出来る。
逆に事故を起こしてしまって、悲しむのは被害者だけではなく、加害者家族も同様だ。

 

 

あなたが免許証を返還するだけで、多くの人の悲しみが防がれるというのであれば
私は免許証を返還することをつよくオススメしたいし、それこそがあなた達家族を守ることにも繋がる。

 

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