元レジ精算者から見る1流と2流の違い

意見
Young woman at cash register in a store
この記事は約5分で読めます。

以前のアルバイトはスーパーでレジ係をやっていた。
1年くらいやってて信用も厚かったが、進学のために辞めたのだ。

そんな過去に思いをはせるのも辞めた今日この頃、
コラムに「「レジ」でバレる!二流の人の超ヤバい3欠点」なるものが投稿されていた。

コラムの内容は、確かにとも取れる内容だが、いかんせん分かりにくいこともあったし、視点が少し悪い。
ならば私も書いてみようかと思い立ち、あの頃の激務を思い出しつつ書いていきたいと思う。

 

 

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レジに並んでいる時の反応を見れば1流か2流か分かる

レジに並んでいる時の人の反応というのは、それだけでその人がどう言う人かを教えてくれる。

1流の人は、カゴの中を整理して店員も会計がしやすいようにしてくれている。
子どもが居ても、ちゃんと横にくっついているし、配慮に余念がない。

一方、2流の人というのは、如何に早くこちらが会計を済ませられるかしか頭にない。
だから、常にイライラしているし、待っている時は店員をひたすらに睨んでいる。
別のレジが空いていれば、我先にと駆け込むし、割り込みは当たり前。

「私、ここにカゴを置いていったんだから、場所取はしてるでしょ!」

なんて事は1週間に1回はある。

まさにモンスターだ。

 

 

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お札の出し方で、1流か2流か見分ける。

「合計で〇〇円です」

会計を伝えて、お金を出すまでの時間や出し方でも、1流か2流かは見えてくる。
中には3流と言えるのかどうかも分からない人が居るけども、とりあえず支払ってくれと言うのがこちらの意見だ。

 

1流の人は、端数を考えない。
例えば、3,458円という半端な数字であれば、すぐに3,500円を出してくるし、端数切りして考えて居る。

お客さんにとって、1円や10円は100円500円にまとめたいものであろうが、
そのためにお財布の中を探られて居てはレジが詰まる。

スマートにして欲しい。

端数は計算するよりも、多めに出してくれた方が計算が楽だ。
(最近はお金を投入すると、レジが勝手に計算するけど…)

 

3流とも呼べないような人は、支払いが酷い。必ずゴネてくるのだ。

「〇時からは割引やねんから、割引しろ(割引は店長判断です)」

「チラシでは安くなってる!(別の商品や日にちが違う)」

「2人居るんだから、限定も2つでしょ(設定で上限定められてるので、並び直しください)」

まだまだあるが、とにかく理不尽である事は間違いない。もはや2流とかのレベルに収まらない。

 

 

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クレームのつけ方が1流か2流か分ける

レジの会計ミスというのは誰にもある。
もちろんないように努めているが、ラッシュ時や同じ商品の数が多いと起こりやすい。

1流の人は並び直してくれる。もはや神だ。
こちらが忙しい事をよく分かってくれているし、原因がわかっている時は教えてくれる。

 

2流の人は、忙しいのにも関わらず、レジ越しに行ってくる。
どこが間違っているかの指摘もないから、余計に時間を取られるのだ。

気持ちは分からないでもないが、レジの状況を見て欲しい。明らかに対処出来ない場合が多い。

(そういう場合も、これから休憩に入る人に任せる時もある)

 

2流以下の人はとにかく怒る。

人間誰しも、怒られながら物事に励む訳がない。

とりあえず、怒る事は事態をかなり悪くするので避けよう。

 

 

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三波春夫の「お客様は神様」と言う言葉

クレーマーの人がその言葉しか知らないのかと思うくらいに使うのは「お客様は神様」と言う言葉だ。

一度検索をして欲しいのだが、この言葉は大きく誤解されている。

 

このブログでも何度か取り上げているが…。

この言葉は「(三波春夫を愛してくれている)お客様は神様」と言う意味だ。

この言葉を使った公演日。天候はかなり悪く、客入りもまばらであったのだ。

それでも三波春夫のために足を運んでくださり、高い金額を払ってでも三波春夫の事を見たいと言ったお客様。

それに対して、三波春夫はそんなにしてまで公演を観に来てくれたお客様は神様にも値する。
だからこそ、精一杯を持って答えたいと言う意味なのだ。

 

店に来る人が神様な訳じゃないのは当たり前だし、レジ係一人一人の神様は違って来る。

金を払う=偉いと言うわけではないし、スーパーで物を購入すると言うのは物々交換だ。

店の品物を、お金という物で交換してあなたのものにすると言う取引でしかないので、店員と客の立場は対等なのだ。

 

もしもあなたが神様になりたいのなら、その店員に出来る限りの事をしてあげなさい。

その上で見返りを求めてはいけないのだ。

 

宗教的な目でものを見ても、神様が与えてくれるのは安らぎや安心感だ。

それに対して神様は見返りを求めて「金を払え」とは言わないだろう。

神様に対して、我々人間はできる事はない。

だからこそ信仰という形でしか表せないのだ。

宗教に疎い日本人だからこそ、この言葉の意味を理解出来ないのだと私は思う。

 

 

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まとめ

正直なところ、スーパーでの買い物一つでもその人がどう言う人間なのかは見えてくる。

金を払うんだから横柄にしてもいいと考えているうちは、
人から信頼されるような人間には決してなれない。

それどころか立場をどんどん悪くするし、まず店員からの信頼を失うことになる。

 

金では信用を買えないのだ。

 

日常での行動一つが、あなたの存在を1流にも2流にもする。
真に気をつけるべきは客前ではなく日常だ。

コメント

  1. 匿名 より:

    現在レジのキャッシャーをやってるものです。ズバリその通りです…………うちの店は一流な客少ないなぁ…………
    うちのレジは未だにキャッシャーが預かり金を入力して釣り銭を渡した後に預かり金を投入するスタイルのものなので、まとまった額で出してもらった方が楽です…………

    • rino より:

      共感を得られて嬉しいです。
      私も当時は、違算もやらかしましたけど、それに対しての攻撃がスゴイんですよね…

      おまけにならんですら居ないのに、勘違いで怒鳴られたこともありましたし…

      ウチのスーパーは、2流どころか3流以下の人がいっぱい居ましたよ…

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