フランス人が恐怖を感じた日本の働き方はやはり間違っている

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東洋経済に「フランス人が日本人の働き方に感じる恐怖」と言うコラム記事が掲載された。

その中の内容が非常に辛辣でありながら、その通りであると思わざるをえない。
私はこう言った文章に非常に好感を持つ。

 

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外国人と日本人と働き方が違うのは当然の事としても、同じ日本人ですら違和感を感じずにはいられない事がある…。

その最たるものの文章を引用させてもらう。

「harakiri ハラキリ」や「kamikaze カミカゼ」という言葉はヨーロッパでは誰もが1度は聞いたことがあるが、最近では「karoushi カロウシ」という単語をニュース記事などで目にすることがある。そのため、日本をよく知らないフランス人からすると、日本人は死に至るまで無理をする人たちという思い込みがある。

残念ながら思い込みではない。
日本でのブラック企業と呼ばれる会社が増えた事で、残業のあり方や常に働くと言った事がないようにしようと言うのが最近の取り組みである。
その背景には、大企業によるパワハラや正しい意味としてのブラック企業化があるからだ。

結果として日本人は仕事で命を落としやすい。

 

 

日本人は自分の命を軽視している

日本人は自身の命を非常に軽視している。
ドラマなどで他人の命が絡むと直ぐに感情的になるにも関わらず、
いざ自分の問題となれば「まだ大丈夫」や「まさか自分が」と思い込み、常に側にいる死という概念から直ぐに目を背けがちだ。

しかもそれらが、無意識に刷り込まれていると言うのが問題なのだ。

現実世界では体力ゲージなど表示されるわけではない。ウェラブル端末がもっと発展すれば健康状態から見れるようになるかも知れないが…

だからこそ、日本人は無理をする。
その使命感や責任感は立派ではあるが、働き方としてみた場合には非効率的だと言わざるを得ない。

また日本人は死というものを美徳としている。
何不自由なく大往生であれば、それは美徳と言って良いだろうが、老々介護で疲れた家族が家族の依頼を受けて殺人事件を起こすことの何処に美徳が有るのだろうか?

 

 

結果より経過を重視している

小説家や漫画家さんがよく言うのが「書き終わって終わりじゃなくて、店頭で買った人が満足して仕事達成」と言う考え方である。

この考え方を言われれば「分かる」と言う人は多いが「理解」できている人は実に少ない。

仕事は本来の目的が達成された結果にこそフォーカスされるべきだと私は思う。

だから、日本人の「私これだけ頑張ってますよ」アピールは仕事上でもっとも必要のないものであると言わざるを得ない。

単純な話、作文やレポートの提出が1週間後だったとした場合に、多くの日本人は何をするかと言う事だ。

これは誰しもが経験のある夏休みの宿題問題だ。
私もその方だったが、夏休みの終わりになって焦って仕上げる。

これは所謂残業をしている事にあたる。
期日に間に合いそうにないから、徹夜してでも仕上げようと言うのだ。

もし夏休みの1日1日に適当な量をこなしていれば、夏休み明けに焦る必要はない。

そして、出来なかった時の言い訳が「これだけ頑張りました」だ。

 

それは本来認められない。仕事とはそう言うものだからだ。
結果として「これだけ頑張ったのに誰も評価してくれないから…」と言うスパイラルになる。

ここで問題なのは、1人あたりの仕事量だ。
今の例は夏休みという比較的期間の長い例であったが、実際の社会に出ると10時間かかる作業の期日が明日の朝なんかに設定されている
出来るわけがないのだ。

そして、日本人は非常に嫉妬深い。
自分がこれだけ頑張ったのにと常々思っている。
だからこそ、ゆとりを持って働いている人間に辛辣な言葉や嫌がらせをしてしまうのだ。

結果がどうあれ、自分が如何に頑張ったのかを評価して欲しいのが日本人の傾向だ。

 

 

断れない国「日本」

日本人には頼まれると断れない人というのが多い。
親切心ではなく、見栄やプレッシャーによって断れないのだ。

これは人種の問題だけではなく、国そのものが断れない。
それは日本の外交問題に目を向ければ一目瞭然だ。

日米安保闘争と言う事件がある。
今の日本では考えられない民衆の暴徒化だ。

しかしこれは反対だと言う思いが爆発してこそ起こった事件であり、容認は出来なくともこの強い気持ち自体は忘れてはならない。

一時期「イエスマン」と言う言葉が出回ったが日本人のほとんどがそれである。
日本人は断るということを恐れすぎている。

そして、断ることをさせないようにされている。

出来ないことは断る。
それが出来る社会になるだけで経済効果は何十倍にもなるだろう。

 

「働くこと=目的」になっていないか?

私は今の日本のあり方が働くことこそ目的になっているのではないかと思うのだ。

生活の為に働かなくてはいけないのに、働く為に生活している。
本来、どんな生活をしたいかで仕事をするべきなのに、仕事をする為にどんな生活をするかにすり替わっているのだ。

 

元来、仕事というのは生活の資金を稼ぐための1つの手段でしかない
実際のところ、資金が稼げれば手段を問うことはない。
もちろん、してはいけないことは六法全書を見て欲しい。

自分の目的を再確認する必要がある。
この目的がない人が多すぎるのだ。

目的なんてものは何でもいい。
欲しいものがある。これに尽きる。
欲しいものは物品が一番良い。そうすれば欲しいものを増やせば増やすだけ仕事に対するモチベーションも上がるからだ。

仕事をする事が目的ではなく、仕事をして得たものでどうしたいかなのだ。

もしも、仕事自体を目的にするのであればそれも間違いではない。
例えば、医療従事者になって人を救いたいとか警察官になって住民の安全を守りたい。
これは仕事の内容自体が生活になるからこそだ。

そうでないならば、仕事とプライベートはキッチリと分けなければ仕事のために生活をする事になってしまう。

 

 

まとめ

日本人の仕事に対する考え方というのは日本人からみれば立派なのかもしれない。
でも最近は日本人ですら違和感を感じるものになっている。

ゆとりを持った働き方をしなければ、日本の経済は下降するばかりだ。
時間内で結果に対してのみ追求し、経過に対しては多角的な考え方をしなければならない。

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