死刑を管理した死神貴族「シャルル=アンリ・サンソン」

人物
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フランスの処刑は一つの一族に任されていました。
その一家というのがサンソン家であり、シャルル=アンリ・サンソンはその4代目
のフランス処刑人となった人物です。

 

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死の貴族・サンソン家

フランスの処刑の歴史というのは、サンソン家の歴史と言っても過言ではないでしょう。
さまざまな処刑法を忠実にこなし
町民からも貴族からも恐れられる存在となりました。

その中でもシャルル=アンリ・サンソンはルイ16世やマリー・アントワネットなどの人物を処刑した人物でもあります。

 

アンリは信心深く、自らを厳しく律するほどの人物でしたが
階級などの身分にとらわれることなく接する人物でした。

ただ、当時のサンソン家というのは貴族でありながら
多くの人々から忌み嫌われる存在だったため、自分の立場をよく理解していたと言われています。

 

1778年に処刑人の称号であるムッシュ・ド・パリを引き継ぎ
15歳で死刑執行人になるとギロチンの登場も相まって効率的に死刑が行えるようになりおよそ2700人の命を刈り取ってきた人物です。

 

 

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優秀な医者一家

サンソン家は死刑執行後の死体を解剖することもあり
当時のフランスでは一番の医者であったとも言われます。

むしろ医師としての職業の方が本業であり
収入源としては医療の収入が基本でした。

利用者は貴族から平民まで多くの人が利用したと言われますが
その進みすぎた技術故に魔術ではないかと疑われたこともあったのです。

 

また死刑以外の刑罰に関わった際は、その罪人の治療にも熱心であり
どの程度まで傷つけるかや、どこを傷つければ後遺症が少ないかなどを考慮しており、当時は鞭打ち刑でも死人が出る状態であったのに、サンソンに刑を執行された罪人は生存率が高かったようです。

 

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死刑廃絶論者

サンソンは死刑執行人という立場でありながら、熱心な死刑廃絶論でした。

と言うのも、彼は死刑執行人の自分が嫌いで仕方なかったのです。
執行人の称号であるムッシュ・ド・パリは世襲制だったので、サンソンはならざるをえない立場に居ました。

そして、なぜムッシュ・ド・パリを手放さなかったかというと
人を殺すという罪を自分が被れば他のものはこんな思いをしなくてもいいだろうと思っていたのです。

 

彼は何度も死刑を廃止にする嘆願書を提出しましたが
それは受けいられずに人類史上2番目に人を殺した処刑人になってしまいました。

 

彼の手記には

死刑制度が廃止になることが死刑執行人という職から自分が解放される唯一の方法であると考えていた

ということが書かれていました。

 

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まとめ

処刑人というと進んでやりたいと思う人は少ないでしょう。
公的とはいえ、人の命を奪ってしまいますし
世間からは殺人者と変わらない目で見られるのです。

死刑の執行には多くの精神的ストレスがかかると言われ
日本の死刑執行においては刑務官が3人でボタンを押します。

こうすることで、誰が死刑を執行したかわからないようにして
執行人のストレスを軽減する目的があるそうです。

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