卒業式に親を参加させない不誠実な中学校

意見, ニュース, 社会

大分市の私立岩田中学校で、体育の授業中に亡くなった生徒の親の卒業式への出席を拒んだことが波紋を呼んでいる。
中学校は教育委員会や第3委員会から親の参列をと指導されていたが
当日には両親の参加を拒んだばかりか、住居不法侵入として警察まで呼んだ。

 

このニュースを受けて、私は昨今の教育問題に大きく関わるのではないかと考えるのだ。

 

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亡くなった中学生は、体育の授業中に倒れ病院へ搬送されたが亡くなってしまった。
これは大きな学校側の安全配慮に欠けた問題だと言わざるを得ない。

たとえ事故だったとしても、学校側はこの事実を重く受け止めなければならない。

 

私は【】と言うものが本当に必要なのだろうかと思うのだ。
小学校は当然の義務教育としてあるべきだと考えるし、高校は大変にいい思い出になった。

高校は自己が確立されている分、相当に「経験」を積めたと考えている。

 

しかしどうだろうか…
中学校の思い出を事細かに思い出せる人物はどれくらい居るだろうか?

ちなみに私は中学校で「いじめ」を受けたので思い出したくもない。

 

思えば、昨今の「いじめ」問題のニュースで伺えるのは中学校が多い。
さらに中学校ほど親の管理が入らず閉鎖的だと思うのだ。

 

中学校という過程は、何を育てるのに必要なのだろうか?
他人を蔑ろにしたりすることを学ぶ場所なのだろうか…。
勉学が必要というのであれば、通信課程等中学校という場所にこだわる必要性が私は見いだせない。

 

 

さて、主題とズレてしまったので話を戻すが、亡くなった生徒の遺族の出席を拒むというのは
人道としてどうなのだろうかと疑問を持たざるをえない。

学校側は、卒業式には亡くなった生徒の写真を配置し、その生徒の名前を呼んでクラス全員に「はい」と言わせた
という配慮はしたらしいが、その声を聞きたいのは他ならぬご両親ではないだろうか。

 

学校側は、警察まで呼んで出席を拒んだ理由を

「児童が動揺するから」
「すでに保護者ではない」

と説明していた。

一体何をもって保護者ではないと言ったのだろうか?
学校で起こった事故で人が一人死んでいるのに、それを生徒のせいにして
勝手に退学させたかのような言い草である。

だと言うにも関わらず、卒業式では名前を呼ぶ?
私は全くわけがわからない。

 

私も中学校ではないが、高校で生徒の一人が亡くなった。
私のクラスではなかったが、もちろんご両親は来てくださっていた。

手には、その生徒の写真が抱えられていて、涙を流していたことを覚えている。

 

もちろんご両親がどんな気持ちで式に出席されたのは分からないが
亡くなった人も自分と同じ学校で学び、3月のあの日に高校課程を修了したことの実感はあった。

 

私はこの事件を学校側の不遜な態度と取ることができなかった。
もちろん人によっては、この行動を是とする方も居るだろう。

晴れの日の舞台に、悲しいことを思い出させるのか?
両親が嫉妬し、生徒に危害を加えたとしたらどうするのか?と

 

だが、これは亡くなった人が居る卒業式を迎えた人にしかわからないことだろう。
その人が生きていたことを記憶しているのはその年に卒業する我々なのだ。

私は、卒業式は全ての親に祝福されるものだと考えている。
自分の子はもちろん、他の子どもでも「これから頑張って欲しい」と思ってくれているだろうと。
だからこそ、亡くなった人がいる卒業式を経験したからこそ、そのご両親にも祝福されたいのだ。

さらに言えば、教師の感情としても「なくなった子がいるという事実」は大きくのしかかる。
よく知っている先生の初めて受け持ったクラスで亡くなった子が出たときは
クラスの子以上に身を裂かれる思いだった。

 

それだけ、同じ環境の仲間が亡くなるというのは
年齢も世代も超えて自分たちの中に刻み込んで置かなければならないものだと思う。

 

私の場合は、自分のクラスではなかったが、その生徒もまた同じ学び舎で学んだ仲間であり
同じく学校の一員であったことは変わりない。
そういった感情を育むための場所が「教育の現場」ではないのだろうか。

その「教育の現場」自体が、不義理を行っている現状。
これが問題化しないことに私は憤慨を覚える。

 

最近では、「」という場所を必要としない勉強方法が叫ばれている。
もちろんそれが絶対にいいということはないだろうが、「」という場所が危険地帯になっていることは明らかだ。

 

再度言うが、「」という場所は本当に必要なのだろうか?
私が中学校で学んだことは、人を陥れる人がいること。
教師が自己中心的で自分のことを守ってくれる人間が居ないということだ。

社会の不誠実さを教える場所が「教育の現場」というのであれば
そんな場所に私は子どもを送り出すことは出来ない。

中学程度の勉強など、3年生の夏休みから始めても間に合う。
これは私の弟が体現してくれているから、いい切ることが出来る。

 

このニュースで問題なのは、大分市の私立岩田中学校がどれだけ不誠実な学校であるかということだが
それだけではなく全国の中学校がそうではないのかと問題視しなければならないことこそ本題だろう。

 

 

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