吸血鬼のモデルとなったブラド伯爵

解説, 人物

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ドラキュラと聞くと、血を吸って人を死に至らしめたり
絶対に死なない老けない不老不死だったり
コウモリに姿を変えたり、煙に姿を変えたりとんでもない化物。

 

このドラキュラのモデルとされているのが

ワラキア公国の王であったヴラド3世です。

 

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串刺し公と恐れられた王

彼がドラキュラのモデルと祭り上げられたのは
彼の処刑方法にあります。

中世のヨーロッパにおいてよく行われていた串刺し刑。
肛門から口までを大きな杭で一突きにするというもので
これをうまく口から出すためには経験を多く積まなければならないと言われています。

 

そして、ブラド3世はこの串刺しにした死体を並べ立て
悦に入っていたと言われています。

 

でも、実は残虐な人間ではないのです。

 

誤解されがちだが、串刺しは国のため

 

当時ワラキア公国というのは、オスマン帝国からの侵攻を受けていました。
しかし、すんでのところでいつもなんとかなっていたんですよね。

 

しかし、ブラド3世を暗殺しようとするなど
オスマンの攻撃は日に日に強くなっていきます。

 

ブラド3世はそれを何とかするために
一度、オスマンの軍を夜襲します。

そしてそれを串刺しにして、オスマンへの牽制としたのです。
するとオスマンは更に多くの兵を派兵しますが
串刺しとなった自軍の仲間を見て萎縮し、逃げ出すものも多かったそうです。

 

ブラド3世は更に追い打ちとばかりにその士気の下がったオスマン軍を蹂躙
さらに串刺し死体を積み上げます。

 

再度オスマン軍が侵攻に来ると、それまでに串刺しにされていた死体が腐っていて
それはもうスゴイ悪臭を放っていたそうです。

 

間違った解釈により悪魔へ

自国を救った英雄が、なぜ悪魔のように語り継がれるかになったかというと
ブラド3世の父であるブラド2世がドラクル公と呼ばれたことに由来します。

 

父のブラド2世は神聖ローマ帝国より竜騎士団の騎士に任じられたことでドラクル公と呼ばれていました。

これは本当に名誉あることなのですが、当時の聖書ではドラゴンも悪魔のたぐいであるとされ
ドラクル公は転じて悪魔公とも呼ばれるようになります。

 

そして、子どもと言うのは単語に「a」をつけるので
ドラクレアと呼ばれるようになります。

 

そしてこれが英語になった時にドラキュラと読まれるようになり
串刺しの歴史もあったので、悪いイメージが大きくついたというわけです。

 

まとめ

ドラキュラのモデルということで、とんでもなく残忍に認識されるブラド3世ですが
実際には国を救った英雄であり、創作のせいでブラックなイメージがついてしまったんですね。

海外の歴史人物っていうのは
日本だとまだまだ知られていない人も多いわけで…

こうやって「実は…」っていう部分が多いんじゃないですかね(´∀`)

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