「勉強しろ」は子供にとって禁句。ますます勉強をしなくなる

日常
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私が子ども時分に言われたのが勉強しろという言葉だった。
この言葉は、親と言うよりも祖父から言われる事が多かった。

今にして思えばやっておけば良かったなと思うのだが、
多分私が親になったら言わないだろうな…(⌒-⌒; )

 

 

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勉強しろと言われた子どもの思考

勉強しろ と言われた子どもはまず何を考えるか という話なのだが

自経験から言うと「やってるわ!」と思ってしまうのだ。

 

そりゃ、小学校にも行っているし、人によれば塾にも行くし、色んな教材を買い与えられる子もいるだろう。

 

そんな子が勉強しろと言われて、自分は今でもやる事をやっているのに、
どうしてそんな事を言われなければならないのかと言う思考になる。

 

ピークに達すればグレる。

 

 

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勉強しろだけでは言葉不足

そもそも、「勉強しろ」という言葉自体頭の悪い言葉なのだ。

日本語にしろ英語にしろ文法と言うものが存在するのだが覚えているだろうか?

 

「主語」「述語」「修飾語」の訳だが

 

「勉強しろ」と言うのは、命令文である訳だし「述語」しかない。

 

まぁ、命令文だから、主語がないのはいいとして、
あなたは「勉強しろ」と言われて「何を」勉強するだろうか?

 

働いている人にしてみれば、その仕事にまつわる事を勉強するだろうし
わかっている人にしか通じない言葉だ。

 

では、子どもがそこまで理解できるかと言うとNOだ。

 

もし出来ているならこちらとして勉強しろなんて言う必要はない。

 

だからこそ、「〇〇の何を」の部分を強調して勉強する意欲を生み出してやらなければならない

 

 

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勉強しろと言わなくても勉強する法則

そもそも大きな勘違いがあるのだが
学校で習う事が勉強ではない。

あんなものは、正直に言うとこれっぽっちも役に立たない。

 

計算が出来なければ計算機がしてくれるし、
英語が分からなくてもパソコンが翻訳してくれる。

 

逆に社会で必要な事は学校では教えてくれないのだ。
学校のある意味を疑うね。

 

私が学校で習って役立ったのは、字を書く事と計算がある程度出来た事だけ。

 

パソコンはMacを使っているから、Windowsの勉強をさせられても正直意味がなかった。

 

が、ここまで言う私が勉強しておけば良かったと言うのは、学校で習う勉強ではない。
もっと色々な知識を早いうちから学んでおけば良かったと言う事だ。

 

例えば虫の生態であったり、

ホラーの概念であったり

歴史的の面白いところだったり。

 

それを子供達は気づかないのだ。
なぜなら、知らないということを知らないのだから。

 

勉強しろと言わなくても勉強させる様にするには、子どもの興味の輪を広げてやればいいのだ。

 

ジャンルなんてなんでも構わないが、
学ぶ事の楽しさを感じなければ
子どもにとって勉強は苦痛でしかない。

 

 

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まとめ

自分も勉強しろとうるさく言われて祖父と大げんかしたし、
それだけ注意を払って使う言葉なのだ。

 

勉強しろには何を勉強していいのかも含まれていなし、
それだけではもっと学校の勉強をやれと言われている様なものだ。

 

そうではなくて、自分の興味のあるものでいいから知識をたくわえなさい
と言われた方が俄然やる気になる。

 

言葉一つで、相手の意識は上りも下りもするのだ。

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