どこまでが体罰なのか。あなただったら抗議する?

テレビ
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橋本さんと羽鳥さんの番組で

「再三の口頭の注意にも関わらず、生徒が言うことを聞かないので、頭を少し小突いた」

これを抗議するかどうかと言う提起が上がった。

 

多くの人が、抗議しないを選択する中、橋本さんは抗議するとした。

と言うのも、大阪府知事時代に教師体罰によって生徒が自殺をしたからと言う背景もある。
ことに教師が生徒に対して強い態度で出られないというのは大きな問題だ。

大阪府では、出席停止を行うことで、教師の武器としている。
こう言う武器があればこそ、体罰と言うものを使わなくても、
教師が強気になれるのではないだろうか。

がしかし、生徒側が出席停止をどれだけ恐れているかと言う問題もある。

 

 

出席停止処分が、どれほど効果的なのかは大人だからこそ分かることで、
義務教育で通っているぶんでは、時間=価値と言うのが分かっていない子供の方が多い。

無料で勉強出来る時間
友達と過ごす時間
部活動に勤しむ時間

それらの価値をしっかりと認めさせてやらなければ、
出席停止処分は単純に休みを与えられたとしか受け取られない。

 

私の持論は、どこまでを体罰とするのかと言うことだ。

子供とはいえ、行動には責任がつくもので、
その責任を負わなければいけないのは親であり、その子自身。

教師には、間違いが起こる前に何としても食い止めて頂きたいと思っている。

その過程で、力を使わなくてはいけないのであれば、
振るわなければ教師をやっている意味がないとさえ思う。

 

もちろん、昨今の教師がみな人徳に溢れるものとは思わない。

そもそも私は教師という人物を様々な要素で恨んでいる。

私が恩師と仰げるのは、小学校で1人、中学校で1人
高校の教師と専門学校の先生だけだ。

なぜ多感である幼少期の恩師が2人しか居ないのだろうか。

それほどまでに、小・中の教師は役たたずが多かったという事だ。

体罰の問題が大ごとになるのも、子供の質と教師の質が落ちたためだと私は考える。
特に教師の質の落ちっぷりと言えば、私が幼少期の頃からなのだから、
その教師に育てられた人間が教師をしていると思うとゾッとする。

 

真に教師に必要なのは、人間力と言うことを忘れてはいけない。

小学校の道徳の時間こそ、真に教師に必要な時間である。
ただ暴力を振るうだけでなく、子供の話に耳を傾けて、
なにが悪いのかを正確に判断すること。

 

この子が今のままでは悪い方に傾くからこそ、何をもってしても止める力を持つこと。

その事を教師の皆様には理解し果たしてもらいたいと思う。

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